鉄スクラップ

ごあいさつ

山下良太郎

1963年2月19日生まれ。

現在妻と長男、長女の家族四人で
名古屋市中川区に在住。

名古屋市立野立小学校 卒業
名古屋市立日比野中学校 卒業
愛知県立南陽高校 卒業
ビジネス専門学校 中退

有限会社 山下商店の山下良太郎です。愛知県名古屋市熱田区で鉄スクラップ、金属製品の回収業をしています。父の後を継いだスクラップ回収業の2代目です。

子供のころの夢は、近くに24色池という大きな池があり、よく釣りにいきました。池で顔見知りのおじさんにどうしたら魚が釣れるのか聞きまくっていました。それを日夜研究?するマニアックな子供です。将来は、漁師になるのが夢でした。子供の頃から、勉強は苦手で外で遊んでばかりいて。小学校、中学校も人に誇れることもないままのあまり目立たない子供でしたが。

高校に入りハンドボール部に入り副部長をしていましたそのころから段々とリーダーシップが芽生え始めた時期です。
部活の練習は厳しく、朝7時の早朝練習に始まり夜は部活の練習でクタクタになり、家に8時過ぎに帰宅。ご飯を食べ、風呂に入りそのまま寝る生活を続けていて、その合間に生徒会の役員の仕事もしてとても忙しい生活です。
ハンドボールの大会で県大会出場まであと1歩まで行きましたが、残念ながら敗退してしまいました。
ハードな学生生活でしたが、とても充実していました。 まったく勉強をしない学生時代でしたのであまり勉強はできませんでした。

高校卒業後に専門学校に入学しましたが、1年後にあんなに元気だった父が病に倒れてしまい。病院に入院しました。亡くなる前に、「外が見たいと。」急に言い出してお医者さんに無理を言って外出の許可をもらいました。
家に帰る途中に街並みを見ながら、ため息まじりに「仕事がしたいなぁ〜。」と呟いていました。
本当に仕事が好きな父でした。父親との距離が近くなり、父親がやっていた仕事に急に興味を感じました。

その後1ヶ月父が亡くなり、岐路に立たされました。
このまま商売を続けるのか、辞めるのかの選択です。

父は寡黙な人で跡を継ぐことは一言も言いませんでした。迷う余裕もなく親の跡を継ぎました。残った兄弟の学資を稼ぐためです。「巨人の星」の左門豊作のようにただ一生懸命に働きました。
この時に何不自由なく育ててくれた親のありがたみを強く感じました。
ところが、何も知らない2代目経営者のいう事を従業員の誰も聞いてくれませんでした。

仕事をお願いすると「俺は、お前の親父を慕っていたんだ!」「お前の言うことは聞けんもんね。」そう言われ私との溝は深まるばかりです。最後には、賃金の不当な要求へとエスカレートしていき、私も耐え切れずにいました。
このままでは社内がグチャグチャになると思いそれらの人は辞めていただきました。

その後弟2人で半年間その時期を乗り越えました。それに伴いバブル崩壊後、一生懸命仕事をしても利益が出ない状況が続き悩みました。仕事をして夜遅くに帰り、寝静まった家に帰り暗闇の中、どうしたらいいのか考えて考えても答えが出なくて、税理士さんに相談すると「1年先、3男先、5年先は、見えている?」「どうしてこの仕事しているの?」と聞かれ何も答えることができませんでした。

恥ずかしいことに経理の事や営業の事など判っていなかったのです。
税理士さんに色々教えてもらい1年後に少しずつ黒字にすることができるようになりました。
「やればできるじゃないの。また来年もちゃんとやってね。」いわれてうれしくなりました。
「でも気を緩める時期じゃないから。」とクギを刺されました。

その後のリーマンショック等厳しいことが立て続けに起きていますが、諦めない事が大事と思い頑張っています。
親が丈夫に生んでくれたおかげで病気もせずに仕事を続けることを感謝しています。鉄くずの商売で兄弟を高校卒業できたこと、自分の結婚や子供を育てることができています。
仕事でご縁になった鉄くず排出先の事業所や工場の経営者、担当者にお役にたてるよう日夜奮闘しています。

鉄くず回収に対する情熱、熱意は誰にも負けません。
わたしは名古屋で1番お役に立てる鉄くず回収店を目指しています。

最後まで読んで下さりありがとうございました。