昭和三陸大津波被害からの道のり

昭和8年3月3日三陸沖日本海講付近を震源とするマグニチュード8.1の地震により、大津波が発生して、死者・行方不明3,064名、家屋流出4,034、倒壊1,817を出しました。

特に、岩手県田老町(現在宮古市)人口1,798名のうち死者は763名(42%)、戸数362のうち358軒が流出する大惨事でした。
下の写真は、田老漁港前にある、津波の高さの表示です。明治の大津波のとき、三陸町を襲った津波の最高の高さは38.2mで13階くらいの高さまであり、一晩で2万2,066人の命が奪われました。

もちろん、被災後の復興も非常に厳しく、まず村民が半分近くに減り、漁船も家も無くなりました。残った人も、しばらくは避難所暮らし。

その後、田老町の村長が「こんな大参事は二度と起こしてはならない」と決意し、市議会や県議会に何度も出向き、津波予防策を提案しました。