下請け会社の苦悩

ところが河合社長は、「父から菓子の製造は儲からない。これからはロボットの時代だから、大学の専攻は電気科にしろと言われた」そうで、成城大学の電気科に進学します。いざ大学を卒業してみると、時はオイルショックの真っ只中で就職先などありません。「実家を手伝うことはできるが、このままではお菓子のことを何も知らないじゃないか」――若き日の河合社長は、星雲の志をもってドイツに留学し、1年半お菓子の勉強をしたのです。そして現地の学校を卒業してから有楽製菓に入社しました。

入ったものの、当時の会社にはほとんど仕事がありません。ある年のクリスマスイブの日に、工場長が当時専務であった河合さんに「専務、明日やる仕事がありません。どうしたらいいですか?」と尋ねてくる始末。ついにその年の暮れに、会社は苦渋の決断をします。

また“リストラ”という言葉のない時代に、社員、パートを解雇したのです。河合社長にとってとてもつらい出来事で、今でもトラウマとなっているそうです。改革したのは、人事だけではありませんでした。

機械好きの先代が、使わない機械まで捨てずに工場に残しておくことがネックとなり、工場の整理整頓がうまくいきませんでした。また、工場の床にお菓子が落ちていてそれを踏みながら仕事をするような状態でした。「これではいけない」と感じた河合社長は、父と喧々諤々の状態で少しずつ機械を処分していく傍ら、5S活動を徹底。さらに、改善提案活動も実施して社内の改革と革新を進めていったのです。