機械式時計からその後に、愛知県は、自動車産業へと発展していきます。工業都市愛知県誕生です。

 

駿河から名古屋城に移り住んだ初代義直から七代目藩主に徳川宗春を迎えました。

その14年後に徳川8代将軍を誰にするか?将軍人事が行われていました。

徳川御三家の筆頭尾張家は期待を寄せていました。しかし紀州家の吉宗が選ばれて、尾張家の失意と屈辱はかりしれませんでした。

吉宗は質素倹約を薦めていました。当時財政の安定化をはかるために亨保の改革を行いました。宗春は反発して積極的な経済、文化の開放拡大政策を行いました。吉宗の倹約政策により、職を失った江戸・京都の芸人が名古屋に続々と集まって来ました。

また宗春は、祭り好きなため、からくり職人を招き入れ厚遇しました。その中でもからくり人形師玉屋庄兵衛を京都から招き入れました。からくりを乗せた山車の六割がこの地にありました。

また家康から献上された機械式時計の仕組みを見事解明させた日本初の時計師津田助左衛門を尾張ご用達の時計師として召し抱えました。これらはその後の精密機器産業の発展につながります。

その後に、愛知県は、自動車産業へと発展していきます。

工業都市愛知県誕生です。

町工場が多いのも納得できます。